154 お店のいろいろフォトグラフ その3









太陽が天球を移動してゆく道すじを黄道といい、黄道を規準にした座標のことを黄経といいます。日本では、その黄経に応じて1年を24節に分けています。黄経0度から15度きざみに、「春分」「清明」「穀雨」「立夏」「小満」・・・・・「大寒」「立春」「雨水」「啓蟄」のように。そして24節のうち、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」は気候の大きな変わり目なので、その4節の分かれ目の前日を節分というのです。つまり節分は、正確には1年に4回あるわけですが、いつの頃からか、豆まき行事と合わせて「立春」の前日だけを節分と呼ぶようになりました。豆まきの豆は、「魔目」や「魔滅」の当て字で、豆を投げつけて魔の目をつぶし、魔を滅ぼすんだそうですよ。

西洋料理店ゲデレーと節分は、今のところあまり関係ありません。「節分ランチ」も・・ありません。
「さあ、できるだけ遠い昔を考えてください。 それよりももっと昔です。」
子供のとき読んだその本のはじまりが、とても印象的でした。イザナギとイザナミの神が、大八島(おおやしま)の国、日本をつくるところからはじまる物語。さまざまな神様たちがくりひろげる、そのスペクタクルな話に一喜一憂したのを憶えています。因幡の白兎の話や海幸彦、山幸彦の話、ヤマトタケルの話などなど・・・。天照大御神(アマテラスオオミカミ)を天の岩屋から出すためにつくられた「鏡」と「勾玉」、そしてスサノオノ命がヤマタのオロチを退治して、尻尾からとり出した「剣」が、今に伝えられている三種の神器というのだから、まことに神秘あふれるお話ですよね。

では、今日も八百万の神々様に感謝しつつ、お仕事頑張りましょう!
ムルソー村のカイヨさん ワイナリー報告は以下の写真でどうぞ。
「ここが入口だよ。ほらどうぞ、どうぞ。階段が急だから気をつけてな。」

「これらのステンレスタンクはまだ新しいんだ。掃除するの大変だって?そりゃあワインの味に関わってくるんで神経は使っているさ。」

「この古いバルブはちょっと硬いんだけど・・・オレはいつもこうやって右手で開けるんだ。左手をここに添えるのがコツさ。」

「ポマールの1級モノ それも2000年! 美味しいぜ。これは。・・・・試飲は出来ないよ。見るだけ。」

「これは、間違いないムルソーだよ。1990年、オレの自信作さ。・・・・試飲は出来ないよ。見るだけ。」

「記念撮影? もちろんオーケーさ。 おいおいムッシュー池田君、遠いジャポンからはるばる来たんだから、もっと胸を張って! オレみたいにこうやって!こう!」

「これは自慢の青いトラクター3兄弟だよ。真ん中がいちばん上のお兄ちゃんなんだ。」

・・・・という感じで、さいごは奥様、お母様まで登場し、おもてなししていただきました。本当にありがとうございました。愛情たっぷりそそがれたカイヨさんのワイン、美味しい訳です。
セラー内の写真など、全部は紹介出来ませんので、このぐらいにしておきました。尚、会話の内容は多少誇張アリと思ってください。
次回はいよいよモンラッシェへ。
ブルゴーニュ公国の首都だったディジョンから南へ、ボーヌへと通じる道がルート デュ ヴァン(ワイン街道)。そしてそのワイン街道沿いに広がるブドウ畑は、秋になると紅葉して黄金色に輝くので、コート ドール(黄金の丘)と呼ばれています。ボーヌをはさんでコート・ド・ニュイとコート・ド・ボーヌに分かれており、全長49キロにもわたります。
今回はまず、コート・ド・ボーヌへ。ポマール、ヴォルネイを越え、ムルソー村をめざします。
ワイン街道最高で~す!

ワイン街道はワイン街道でも、ここは特別の「グランクリュ街道」です。

1時間ほどで、ムルソー村に到着しました。

世界中の舌を魅了するシャルドネ畑が広がっています。クロ(石垣)が素朴な感じで素敵です。

宝石のように光り輝くシャルドネ。とても張りがあり、みずみずしい!

いろいろワイナリーを見学しようと、村の中心へと走りますが、ほとんど人影ありませ~ん。だれもいませ~ん。犬もいませ~ん。誰かに聞こうにもこれでは聞けず、仕方ないので事前に調べてきた、ものすごいアバウトで粗い地図を頼りに、とりあえずドメーヌ・カイヨというワイナリーをさがすことにしました。

・・・・・日ごろの行ないは、こういうところで出るものです。はい。
やっと見つけたおじさんに「ドメーヌ・カイヨのワイナリーはどこですか?」と聞いたら、そのおじさんがなんと、カイヨさんでした。
また、いきなりなのに申し訳ないなぁと思ったのですが、セラー見学のことをたずねてみると、「遠いところから良く来た良く来た!わしが案内するからゆっくり見学していきなはれ!」って感じでそれも気さくにオーケー。写真を1枚、と言ったら息子まで呼んできちゃいました。なんとも素敵なカイヨおじさんです。


次回、カイヨさんちのワイン造り報告です。
ブルゴーニュ行きの特急列車がようやく到着いたしましたので、今回は、アルザスストラスブールで足どめ中の欧州旅行記の再開です。


午前10時、ついにブルゴーニュワインの聖地「ボーヌ」に到着!聖地?にしてはボーヌ駅は小さく、駅前商店街も思っていたより閑散としていていました。

まあとりあえず、その辺の地元の人に聞いて、安くて評判の良い宿を探します。おもい荷物を置いて、まずブルゴーニュでの拠点を構えないと始まりませんから・・・。
宿が決まると、ぶらりと周辺を散歩。町のインフォメーションセンターで地図をもらい、最初の大まかな位置確認が大事です。
さて、ボーヌの町といえば、中心にあの有名な「ホスピス ド ボーヌ」養老院があります。1443年にこの地方の政治家ニコラロラン氏によって創立されたこの養老院の運営は、毎年11月に開かれるワインオークションの売上金によってまかなわれています。ボーヌ地方のぶどう畑の持主たちは、その年のワインを樽につめてこのホスピスに寄贈し、そこでオークションにかけてもらいます。なぜなら、このこのホスピスでのオークションでの値段が、その年のブルゴーニュワインの値段を決定するといわれるくらい重要で、世界中が注目しているからです。このモザイク屋根の写真がホスピス ド ボーヌです。

午後、レンタル自転車屋さんを見つけたので、さっそくワイン畑めざし出かけることに・・・。


寒い日が続きますが、いかがお過ごしですか。
いやいやとうとう来ましたね大寒波。やっぱり北陸の冬はこうでなくちゃ!なんて思っている人、そんな人はスキー場の経営者か、雪の結晶かなんか専門に撮っているカメラマン、それから、かまくら同好会の方々ぐらいなもんでしょう・・・(ひとりごと)。
案の定、予約キャンセルになりました。写真は開店休業状態のゲデレーの図。



追伸 今見たら日本列島、日出ずってまた解けて・・・かなり小さくなっていました。佐渡島、隠岐の島、そして能登島は消えていました。
寒いこの時季、鱈(タラ)が美味しい。魚に雪と書くのは、肉が雪のように白いからだ。脂肪分が少なく、淡白で癖のない身は、フランスやポルトガルなどヨーロッパでも人気があるようだ。トマトソースやクリームソース他、どんなソースにも合わせやすいからだろう。


知り合いから獲れたてのイノシシのお肉をいただきました。

あるときは「山鯨(くじら)」、またあるときは「牡丹(ぼたん)」などと呼ばれ、昔から滋養強壮の肉として食されてきたイノシシ。皆さまもご存知!格式ある干支十二支にまで選ばれちゃってます。動物界ベスト12、そして言わずもがな、龍と同格ということですよねこれは・・・。
ちなみに、イノシシはブタが野生化したものではなく、イノシシを家畜化させたのがブタですから誤解のないようにお願いします。「黒いブタ」=「イノシシ」ではありません。また「突進してくるブタ」=「イノシシ」でもありません。
さて今回は、ホワイトアスパラなどと合わせてラグースパゲッティーにしてみました。ほどよい滋味がきいて、こくのあるパスタに仕上がりました。これは美味!です。





昨晩、チーズの元祖なるものをいただきました。
その昔は飛鳥時代、朝鮮半島からわが国にいろいろなものが伝わります。牛乳、ミルクもそのひとつで、そこから作られるヨーグルトやチーズのようなものも、その当時から食べられていたと考えられています。修行で疲れ果てた釈迦が、村の娘スジャータからもらった乳粥で体力を回復させた話は有名ですが、仏典にも乳が精製してゆく過程などが書かれており、古くから乳製品はわたしたちの食生活の一角を担っていたのは確かなようです。その過程とは、「乳(ちち)~酪(らく)~生蘇(しょうそ)~熟蘇(じゅくそ)~醍醐(だいご)」。現在でもよく使われる「醍醐味(だいごみ)」という言葉は、この精製過程における最終形、つまりは最上の味というところからきています。
さて、そんなわけで、わざわざ奈良飛鳥で買い求めた「飛鳥の蘇」というこの古代風チーズ、とっておきの赤ワインと合わせてみることにしました!

・・・・・・・・・が、なんとも微妙。
う~ん。チーズというかなんというか、味わいは、ほぼミルクキャラメルですね。
ワインと、というより、日当たりの良い縁側に座り、歴史本を読みながら、日本茶といっしょにいただくのが、よりこのチーズを味わう醍醐味に近いのでしょうか。興味のある方、一度お試しあれ。
追伸 ゲデレーには、この古代式チーズは置いてありません。奈良でご購入ください。
寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
雪が降ると、なにが大変って、それは駐車場の雪かき。今年はまだ雪が少ないので助かっています。
「ママさんダンプ」は欠かすことの出来ない冬のアイテムです。

ところで、どうして「ママさん」・・・?
「ママさんダンプ」の生みの親、それは豪雪地方新潟県の会社。当然!。やはり必要は発明の母ですね。開発当時、冬の新潟では男性が出稼ぎで不在なことが多いので、除雪はもっぱら女性たちの仕事だったようです。なるほどなるほど。キャッチフレーズは「ママでもダンプカーのように雪が運べます」。


なんか芸がないので、禅寺の石庭のような感じに仕上げてみました。


じっくりロースト中の鴨(かも)がいい具合に焼きあがりました。

東京オリンピックを翌年にひかえた昭和39年秋、東京~新大阪間の東海道新幹線が開業した。世界最高時速210キロを誇る「ひかり号」の登場である。この国の威信をかけ誕生した夢の超特急は、当時世界中を震撼(シンカン)させた。その後、新幹線は経済発展の象徴となり、ぐんぐん伸びる日本の高度成長を支えていった。
人気爆発「ひかり号」の影で、世間のひかりを浴びることなく、ひたすら路線の安全を点検し続けてきたのが新幹線電気軌道総合試験車という(写真の)黄色い新幹線だ。この黙々とはたらく寡黙な車両こそ、日本高速鉄道の安全神話を守ってきた立役者なのだ。嬉しいことにあれから半世紀近くを経、いま彼は「ドクターイエロー」の愛称で親しまれ、子供たちのヒーローとして輝きはじめている。

ああ 平成24年、どうか平和な1年になりますように!!!
追伸。ちなみに次世代の超伝導リニアの最高スピードは、実験段階で時速580キロを超している。