072 予約のこと
私は食事に出かける時は、かならずその店に予約を入れる。たとえそれが牛丼屋やラーメン屋であっても出来れば予約したい。先日あるそば屋に電話したら、「おふたりなら予約なしでも大丈夫ですよ。」と肩透かしな対応でズッコケた。そのそば屋は満席になることは滅多にないのだろうが、そこで名前を聞いて席をふたつ確保(つまりは売り上げを確保)しないことの意味が解らないと、電話を切った後、妻とふたり首をかしげた。通りがかりでふとそこへ入ろうというのなら別だが、その店で食べようと車を走らせるなら、休業や満席で貴重な時間を無駄にしてはもったいない。彼女とのデートを有意義に・・・と考える世のジェントルメンにとって、「予約」は云わば身だしなみの一部だと私は思っている。
さて、当ゲデレーは開店以来定休日を設けず、基本的に予約の入らない日を休みと決める。店側から考えても予約は効率が良く、段取りがたてやすいので有難い。欧米、特にヨーロッパの人はアポイントメントなしの訪問客には冷たいと聞く。自分の生活ペースを乱されるから「ノー!」なのであろう。特に現地のレストランなどは予約は当たり前で、飛び込み客は断られる場合もしばしばである。逆にキチンと約束がある場合は、心を込めて精一杯もてなすスマートさをあわせ持つとも聞く。レストランでも、最高のサーヴィスが期待できるという訳だ。
不定休の為か、よ~やく最近は予約電話が増えたが、石川という県民性なのか、ひいては日本という国民性なのか、まだまだ予約なしのお客さまは多い。特に若い世代には少々面倒くさいのかも知れない。ヤングジェントルマン諸君!メールに没頭するも良いが、向かうレストランに30秒電話する有効活用で彼女との有意義な時間をキープ出来ることをお忘れなく。






家にはそれぞれに家紋というものがある。戦場では、紋のついた旗印で敵か味方を判断する重要な役割を担い、また庶民は将軍家の紋所にひれ伏した。古くから桐(きり)紋は、菊紋とともに皇室の紋章として用いられ、足利尊氏が後醍醐天皇から下賜されてからは、代々天下人の紋所として君臨してきた。かの豊臣秀吉の紋は「太閤桐」とよばれ、とくに有名である。
2006年、ゲデレー開店から5年経ってようやく入口右側に生垣をし、庭に花を植えるための土を入れた。かねてから花やハーブの楽しめる庭をつくる予定ではあった。写真にある鉄のフェンスはデザインがゲデレーのロゴ文字と似ていたこともあり、開店して間もなくアンティーク店のガレージに付いていたのを無理やりお願いして譲ってもらった。
鉄をこまかくねじって作るこのタイプのフェンスは、現在ヨーロッパでもなかなか見かけないものらしい。強度とデザイン性を同時に高める職人の努力が感じられ、とても気に入っている。

日本人ほど宗教、信仰にこだわらない国民もめずらしい。先月京都のあるお寺で出会った20代のカップルは、首から十字架のネックレスをさげ、パンパンと2回かしわ手を打ってお参りしていた。妙な感じだったが、彼らも幸せを願ってのことだ。
11月6日(月)入船亭扇治さんを招いての落語会を催した。6月に続いて2回目なので、私たちスタッフも準備その他で戸惑わず、ゆっくり落語を楽しませていただいた。昼と夜の2部に分け、(ほとんど常連客で埋まった前回とは違い)今回は幅広いお客様に声をかけた。と言うのも、話してみると実は落語好きというお客様が多いことと、意外に第1回後の反響があり、洋と和のアンバランスさの「妙」が受け入れられたと実感したからだ。中日新聞社からも取材に来ていただいたので、話題づくりのイベントとして見れば成功であろう。これから3回、4回と会を重ね「ゲデレー落語会」は恒例の行事にしたいと思う。
私もこれまでは、難しいという先入観だけで敬遠していたが、この落語会を機に完全にファンになってしまった。もっと近くに寄席があれば良いのにとつくづく残念に思う。
便利な世の中になったものだ。インターネットのおかげで、こうやってゲデレーからのメッセージを瞬時に伝えることが出来る。むろん一方通行ではあるが、日に100人近く(データ2006年9月)もアクセスがあるのはありがたい。カセットテープからCD、ビデオからDVD、カメラもテレビもデジタルと、アナログの時代が終わりを告げようとしている今、引導を渡す役目は「ケータイ」が担うのであろう。今もなお進歩し続けるケータイには高性能カメラをはじめとする様々な機能があり、もはや単なる通信手段ではない。普及率も100%に近く、ゲデレーでも予約の際、連絡先はだいたい携帯番号を告げられる。便利になった反面、すぐに連絡出来る安心感からか、約束の時間は「少し遅れます」のひと言で破られることが多いのだが・・・。
私は携帯電話を持っていない。街の公衆電話が次々と消えて、外出先では不便な時もあるが、それでもあまり必要性を感じない。友人とは、急ぎの用事がない限りはがきでやりとりしている(これ本当!)。際限なく文字を送れるメールと違い、限られた紙の中で伝えたい事をまとめるのは意外に難しいもの。また、1つの皿に盛る料理と同じで、1枚のはがきはその人の個性やその時の心境を面白い様によく表現する。文通を薦めるつもりはないが、アナログの自分を楽しむ時間もたまには必要だと、こんな時代だから強く思う。特に食事は本来、楽しい時間なのだから。
西洋料理店に似つかわしくないもの、その壱。
西洋料理店に似つかわしくないもの、その弐。
先日、MROイヴニング5のテレビ取材(番組のビール特集の中で紹介されるとの事)があった。マスメディアの仕事は方々にアンテナをはっているのだろうが、それでも当店のような小さい店に声をかけていただいたのは光栄である。ディレクターのK氏をはじめ、カメラマンの方、アナウンサーの松村氏、とても気さくで人間味がある方々で、何より仕事に対する一生懸命さが伝わってきたのが嬉しく思った。もちろん仕事なので当然なのだが、限られた取材時間の中で思い描くイメージに少しでも近づけようとする真剣な雰囲気がひしひしとうかがえ、私も緊張した。
その張りのある声から伝わる「気」をきっと誰もが感じたはずだ。私はすっかり江戸時代にタイムスリップし、旅籠で繰り広げられる主人と客人とのやりとりをすぐそばで見物していた。「いつの間にか」とはこういう事を言うのだろう。いつの間にかその話の中に引き込まれていた。
急な話で不安もあったが、仲のよい友人には半ば強引に声をかけ、それでも常連さんを中心に(一生寄席に足を運ぶことなどないであろう)25人程が集まった。
メリハリをきかせ最後には大人向けの小話でしめ、フルコースディナーでいうデザートまでたっぷりいただいた。
ワールドカップが始まり、日本中、世界中がサッカー一色になっている。面白いことに、国にはそれぞれカラーというものがあり(ブラジル黄色、アルゼンチン水色など)ファンは当然自国カラーのユニフォームを着、肌ペイントをし、旗を振って応援する。