098 「西洋」料理店
スーパーの食品売り場で、玉ねぎが赤いネットに、オクラが緑のネットに、みかんが黄色いネットに、にんにくが白いネットに入って売られているのは、実際の色より鮮やかに見せるためだという。ひとつの色に囲まれているところは、囲んでいる外側の色に似て見えるという同化現象効果(フォン・ベゾルト)を利用しているのだそうだ。色彩心理の洗脳ともいえる、一種のテクニックである。

それはそうと、店主であれば他の店にはない独自の「色」を考えてみる。他にはない色を出せば、確かにこの不況の時代にも強い。では西洋料理店ゲデレーの色は何色であるか、いやこんなご時世だから青息吐息で考えはじめたのではなく、それは常に思っていることである。愛想笑いが出来るタイプではない、料理の味にはもちろん自信はあるが値段だけの勝負ではSゼリヤ系レストランには負ける、ボトルをクルクル回すバーテンダーやフラメンコダンサーもいない・・・。となるとやはり、落ち着いた雰囲気を基本にした「西洋色」を前面に出すのが良いと、最終的に考えはまとまる。
サムライが洋服を着始めてから西洋に対しての同化願望はあるわけだから、平成時代の今、外見的にも内面的にも日本人っぽい日本人を見つけることのほうが難しい。日本色と西洋色は混同され単純な色では表せなくなっているし、難しいことわざを自在にあやつるデーブスペクターの方が、内面的にはよっぽど日本人らしい色を持つ。さて、そんなグローバルに西洋化された現代日本に「西洋料理店」として店を構えたゲデレー、店主の私がのぞき見た西洋を色に形にしていくしかない。辞書でも「西洋」は漠然とヨーロッパ諸国やアメリカを指すのだから、なんとなく中途半端な位置付けであることは否めない。したがって西洋風ネット(網)の力も存分に借りながら定義のない自己満足の世界で自分なりの雰囲気を作っていく、それもまた楽しいものだ。都会の店のように金髪で鼻の高いウエイターでもいればさらにフォン・ベゾルト効果は高いのだろうが、お客様が満足しているのなら網の中身の良し悪しを問うことに意味はない。この石川で、「西洋料理店」という確固たるポジションが確立できるよう今後も地道に努力を続けていきたい。






さて、当店の方針として、小さいお子様は基本的にお断りしている(基本的にとは貸切の際はかならずしもという意味)。理由は、他のお客様の迷惑になる場合が多いからで、ゆっくりと食事を楽しんでいる横のテーブルで、ワーワー騒いだり泣いたりお皿をフォークでカンカンと鳴らしたり・・・は正直たまらない。個人差はあるとは思うが、家族でゆっくり話をしながら食事ができるのは、子供が小学校高学年ぐらいからではないだろうか。「何歳からならいいんですか?」は、おとなの常識の範囲で判断していただきたいが、隣のテーブルには1ヵ月も前に予約を入れ、この日のデートを楽しみにしている2人がいることも忘れないでほしい。
ハマグリが気持ち良さそうに殻から身を出している。そこへカワセミがやって来てその身をつついた。慌てたハマグリは両殻を合わせてそのくちばしを挟んでしまう。カワセミは言う。「こう挟んだまま今日も明日も雨が降らねば、お前は乾いて死んでしまうぞ。」ハマグリは答える。「こう挟んだまま今日も明日も殻を開かねば、お前は餓死してしまうぞ。」 そうやって意地を張っていると、そこへ漁夫が通りかかり両方生け捕りにされてしまった。・・・これはご存知、「鷸蚌(いっぽう)の争いは漁夫の利なり」と言われる、中国戦国策にある有名なことわざである。
ビンに詰められ、栓をされた時からそのワインの熟成という人生がスタートする。知っての通り、ワインはそのコルクを通し呼吸をしながら熟成し、静かに抜かれる日を待つ。人間で言えば肺の役割か。状態が良ければ半世紀以上も熟成し続けるワインもあるのだから、コルク肺の役割はとても重要である。一般的に肺活量は多い方が良いとされ、コルクであればそこそこ長いものがよい。しかし現在は昔に比べコルク材が減り、長くて上質なものがだんだん少なくなってきているのが実情。最大の産出国ポルトガルでは、第1級品たる要素を備えてくるのは、樹齢4、50年からで、品質はコルクの木皮を剥がすたびに良くなっていくと言われている。剥がされながら150年くらいは繁茂するらしいが、それでも需要に追いつかないのは、ワインブームのせいか、異常気象のせいか・・・。
最近は、スクリューキャップや(ホームページなどが書かれた)人工コルクが代用される時代で、ヴィンテージ(収穫年)や造り手の名前、シャトーの絵柄が焼印される風情あるコルクたちは少しずつ消えつつある。また、便利さを追求しペットボトル入りワインも出てきているというから、いささか行き過ぎの感がある。あまり考えたくはないが、ワイングラスの横に、ながい役目を終えたそのコルクを眺め、見事に熟成されたワインを味わう、そんな楽しみが遠いいにしえの事となる日が将来やってくるのかも。
考えてみると「海外旅行」という言葉は、日本独特の表現だ。そもそも大和や武蔵といった馬鹿でかい戦艦が誕生したのも、海に囲まれた国ならではの水軍思考からであろう。昔から水とともに暮らしてきた日本人は、水害と隣り合わせとはいえ、その有り難さは身に沁みてわかっているはずである。海からとれる新鮮な海産物の恵み、山々からは名水が湧き出て、人々の喉を、やがては田畑を潤す。外国では水道水が飲める国は少なく、もちろんレストランやカフェに入ってもまず水は出てこない。世界中で生水がそのまま飲める国は珍しいのだそうで「水は買う物」という認識のない我々は、そんな時日本は幸せな国なのだとあらためて実感する。
球審が右手をあげて宣言すると試合は始まる。
まあ、どうでもよい事であるが・・・と前置きしておく。