045 門松
時は戦国、三河の家康は宿敵甲斐の武田をたおそうとするも、当時最強とうたわれた騎馬軍団の前に悪戦苦闘の日々。そこでげんかつぎの意味を込めて作られたのが門松だと言われている。武田の「竹」を徳川(松平)の「松」が取り囲む、そしてその竹を袈裟切りにするその形にはなんと家康の願いがこもっていたのだ。毎年正月になるとその門松を作って、今年こそは武田を討ち負かそうと兵士たちを鼓舞したのだそうだ。
やがて武田信玄が病で倒れ、上洛をあせる武田勝頼は老臣たちの止めるのも聞かず長篠城そして設楽ヶ原へ進軍。しかし精鋭武田騎馬軍団も織田、徳川連合軍の3千の鉄砲連隊の前にあえなく倒れ、結果名門武田家は7年後に滅びることとなる。袈裟切りがいつの間にか鉄砲玉に変わっていたが、長年の門松に込められた松平家のおもいは天に届いたようだ。家康が天下をとった後も武田と戦った時の闘志を忘れないようにと正月には門松を飾り続けているとのこと。もっとも山梨県では武田家をしのんで竹だけで作った門松(門竹?)を飾る家が多いとの情報もある。勝てば官軍というわけではなかろうが、昔からこうしていまに残っているものは勝者側の論理に基づいているものが多いのは仕方のないことかもしれない。
武田信玄の領土がもう少し京の都に近かったなら・・・などとあれこれ空想する人がいる。いくら考えても結論の出ないことは考えるだけ時間の無駄!。当レストランゲデレーがもう少し金沢に近かったならよかったのに・・・と言う人がいる。どういう意味か私には理解出来ないが、甲斐の国だからこそ誰もが恐れる戦国屈指の騎馬軍団が生まれたとプラスの考えを基本に持ちたいものである。
2008年、今年もマイペースでがんばります。どうぞよろしくお願いいたします。





考えてみると「海外旅行」という言葉は、日本独特の表現だ。そもそも大和や武蔵といった馬鹿でかい戦艦が誕生したのも、海に囲まれた国ならではの水軍思考からであろう。昔から水とともに暮らしてきた日本人は、水害と隣り合わせとはいえ、その有り難さは身に沁みてわかっているはずである。海からとれる新鮮な海産物の恵み、山々からは名水が湧き出て、人々の喉を、やがては田畑を潤す。外国では水道水が飲める国は少なく、もちろんレストランやカフェに入ってもまず水は出てこない。世界中で生水がそのまま飲める国は珍しいのだそうで「水は買う物」という認識のない我々は、そんな時日本は幸せな国なのだとあらためて実感する。
球審が右手をあげて宣言すると試合は始まる。
まあ、どうでもよい事であるが・・・と前置きしておく。