石川県 金沢市近郊、白山市のイタリア料理、フランス料理、ベルギー料理、西洋料理の専門店 ゲデレー GODOLLO ベルギービール、フランスワインも充実
西洋料理店ゲデレー フランス料理、イタリア料理、ベルギー料理、ベルギービール、ワイン

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2008年03月20日

065 歴史が育む雰囲気

1000年経つ古寺を訪れた時、その心安らぐ静寂の中に1000年変わらない気がみなぎっていると感じる。また、100年経つレストランで食事した時、その心地よい雰囲気は100年の伝統と誇りの上につくられるのだと感じる。ヨーロッパには、それこそ店ごとアンティークというレストランが数多くあり、時を重ねたことで滲み出てくる重厚感は何ものにも変えられないし、決してマネなど出来ない重みある歴史なのだと感心させられる。
私はゲデレーの店主として、店の雰囲気づくりは最も大切な仕事だと思っている。ロウソク型の暖色照明や古地図、クラシックカトラリーやテーブルクロス、木製の格子窓に石タイル、特に家具はアンティークものをひとつずつ探し、少しでも本場の雰囲気に近づけるように努力しているつもりでいる。和食には日本の、インド料理にはインドの、中国料理には中国の、西洋料理には西洋の雰囲気があり、それぞれの店主の想いが当然店づくりに表れる。当店のような小さい店であればあるほど、店主の想いがその小さい箱にぎっしり詰まるものだ。(最近は箸で食べるフレンチや、町屋を改装したイタリアンなど、和洋折中の店も多いが、雰囲気の点では中途半端さは否めないと私は思う)

当店のような10年も経っていない店が歴史を語ることは恥ずかしいが、ヨーロッパで訪れたレストランにはそれぞれ歴史と伝統があり、お客さんは良い意味でその空気にのみこまれてしまう。出来るならそんな雰囲気づくりを目指したい。そもそも戦後の日本人はオリジナリティー3流、マネ1流などと言われ、欧米の文化を上手くマネて取り入れてきた。私も西洋料理の文化に魅せられたひとりとして、限られた時間のなかで少しでもオリジナルに近づけるように、歴史が育んだ本場の重厚感を「マネ」し続けていくつもりでいる。

日本ではマネできない雰囲気

060 ハマグリ

はまぐりの白ワイン蒸しハマグリが気持ち良さそうに殻から身を出している。そこへカワセミがやって来てその身をつついた。慌てたハマグリは両殻を合わせてそのくちばしを挟んでしまう。カワセミは言う。「こう挟んだまま今日も明日も雨が降らねば、お前は乾いて死んでしまうぞ。」ハマグリは答える。「こう挟んだまま今日も明日も殻を開かねば、お前は餓死してしまうぞ。」 そうやって意地を張っていると、そこへ漁夫が通りかかり両方生け捕りにされてしまった。・・・これはご存知、「鷸蚌(いっぽう)の争いは漁夫の利なり」と言われる、中国戦国策にある有名なことわざである。
一方日本でも、縄文貝塚から殻がたくさん出てきている他、「日本書紀」に献上品として、「源氏物語」には貝合わせ遊びなどが載っていることからも、ハマグリは古くから日本人に親しまれてきた海産物の代表と言える。また、ハマグリの殻は他のものとは決して合わないことから「一夫一婦」の教えとなり、今もなお3月節句や婚礼のおめでたい席では、ハマグリがここぞとばかりに存在感をアピールしている。

ゲデレーでも、クリームスープやパスタ料理、白ワイン蒸しや魚料理のソースにといろいろ使っているが、常時入荷はむずかしいため、予約時に確認をお願いしている。

2008年03月18日

059 おとなのお付き合い

食事やお酒の楽しみ方、味わい方は人それぞれである。自分の家でひとりでくつろいでいる時はルールなんてないので、その人の好きにやればよい。また、夫婦や家族で楽しくやればよい。ただ、レストランでの友人との会食や、ディナーに招かれた場合はどうだろう、自己流を通すことはやはり許されまい。

こんな話がある。ある食通(酒通)のお宅に招かれたお客が、ディナーの最後に出てきた「フィーヌシャンパーニュ」という最高級ブランデーをグイッと一気に飲み干してしまった。それには立派な食通で名の通っている主人もさすがにため息をついて落胆した。行儀の悪いことをしたと気づいたそのお客と主人とのやりとり。
「私の今のお酒のちょうだいの仕方はいけなかったですね、ムッシュー。」
「あっ、いやいや、でもお尋ねとあらば申し上げます。つまり、これくらいの酒齢と品質を持ったフィーヌシャンパーニュはアプリシエート(味わう)する価値があるということです。」
「なるほどムッシュー。でも私は素人なのです。初歩から御手ほどき願えませんでしょうか。」
「承知いたしました。即ちですね、まずグラスを片手のひらに取りその温かみで温めるんです。次にそれを揺り動かし、同時に一寸回転させます。すると香りが放たれて出てくるのです。そこでグラスを鼻先へ持ってきてその香りを吸い込むのです。」
「なるほどムッシュー。それから?」
「それからグラスを下におろして、これについて語り合うのです。」
「・・・・・・・・。」

おとなのディナー

オリンピックの輪のように、他の輪と交わればそこには当然、社会の付き合いが生まれてくる。いくら友達でも、またそれが家族であっても、最低限のルールを守って節度ある行動をしなければ関係はおかしくなってしまう。酒通を皮肉った話のようではあるが、大人どうしの付き合いがうまく表れていると思う。当店でもグループでの会食は多い。他人のペースに巻き込まれて食べる食事ほど疲れるものはない。時に相手の話を素直に聞き、時に自分の考えを投げ返す。時に笑い、時に真面目に。場の雰囲気をこわさぬ最低限の気配りと幅広い会話のキャッチボールは紳士淑女のたしなみと心得、肩が鈍らないよう日頃から頭をやわらかくしておきたいものである。

2008年03月12日

058 いちご(苺)について

イチゴをつかったおいしそうなデザート春の訪れが近いちょうどこの時季、スーパーマーケットの入口付近は真っ赤なイチゴが占領し、おいしそうな甘い香りを漂わせる。香りに誘われ、ついついというお客さんも少なくない。果物のなかでは、特にビタミンCの栄養価が高く、季節の変わり目の風邪予防にこの「ビタミンCの女王」は最適である。イチゴの歴史は古いらしいが、栽培果実として日本に定着したのは100年ちょっと前なので、割りに新しい果物の部類に入る。子供の頃田舎の畑によく見かけたので、古い時代の人たちもこうやって食べていたのだと勝手に勘違いしていた。イチゴは別名「オランダイチゴ」と言い、江戸末期オランダ人によって長崎に伝えられたのだと言う。写真は本場オランダのイチゴで、日本より大粒でしっかりしていた。味も中まで赤くとても甘い。東の「女峰」、西の「とよのか」、日本ではこの2種が横綱を張っているとのことだが、最近は交配技術の進歩で色々な品種が出てきているので楽しみである。
ゲデレーでもこの時季のデザートにイチゴは欠かせない。また初夏には、畑のイチゴも大量に収穫できるのでソースなどにして使っている。何はともあれ、100年前の庶民には一期一会だった果物が、今や文字通り、母のように身近な存在になったことは好いことである。

オランダのイチゴ しっかりしていて甘い

2008年03月10日

057 ゲントのビアカフェ

マックスを飲む 伝統を飲むビール王国ベルギーには様々なビアカフェがある。今回紹介するゲントにあるDe Dulle Griet デ・デュレ・グリートではいっぷう変わったパフォーマンスでお客さんを楽しませてくれる。この店の名物は超ビッグなビールで、なんと50センチほどもあるフラスコ型ビアグラスで出てくるその名もMAX マックス!。観光客ならかならず頼むというその特大ビール、注文するとこわおもてのおじいさんがやってきて、「あんたの靴を片方よこせ」と持っていく。そしてその靴を、天井から吊り下がっているかごの中にポイッと入れてしまう。実はこれを見たくて世界各地からビール好きが集まるのだそうだ。その昔、貴重なビアグラスの盗難防止にと始めた事が今も続いていると言うのだが、かごの靴を見上げながら、皆でビールを飲んでいる様はなんだか妙な連帯感が生まれ、おかしい。もちろんビールを飲み干しグラスを戻すと、おじいさんは天井のかごをカラカラと下ろし靴を返してくれる。おじいさんより何倍も年期の入ったかごは、その歴史を物語る。昔から何も変わっていないのだろう、ビールもベルギーらしい濃厚でコクのあるタイプで、クラシックな味わいだった。いつまでも変わらぬ味とそのパフォーマンスは、時を越えその店の伝統としていっそう深みを増していく。

ゲントのビアカフェ 「デ デュレ グリート」

2008年03月08日

056 ちょっと息抜き 意思表示

これぞまさしく憤慨!(フンガイ)。

あんたは偉い!

これくらいの意思表示をしないと今の世の中伝わりません。ゲデレーはこの土地所有者さんを応援します。

2008年03月01日

055 ドンペリニヨン

「冷血の北方人のようである。最初は快活にスタートするが、考え直したかのように冬の間長い冬眠をする。そして次の年の春から初夏に目を覚まし、残してあった仕事に取りかかる。」アンドレシモンはその著書でシャンパンについてこのように書いている。つまり発酵の過程を例えたものであるが、その遅れた発酵によりあのシャンパンの命の泡(バブル)が生まれる。
ドンペリニヨンは1639年にフランスに生まれ19歳で出家、30歳でシャンパーニュ州ベネディクティン僧院の酒庫係長に任ぜられる。昨今「ドンペリ、ドンペリ」と高級シャンパンの代名詞のように使われているのは、この酒庫係の名前である。死ぬまでの47年間そこで酒庫係を続けた彼は、その功績から「シャンパンの発明者」だとか「瓶に泡を入れた魔法使い」だなどと言われている。しかし本人は、人より少し研究熱心で人より少しワイン造りに長けていただけで、シャンパンは出来るべくして出来たワインだとさらり言うことだろう。事実そんな栄誉は彼に与えられていない。とはいえ彼の残した功績は偉大なもので、彼によってシャンパーニュ地方のワインの品質が格段に上がったことは間違いない。シャンパーニュ地方では当時、油に浸した麻糸を束ねたものにロウを塗って栓をしていたが、彼はコルク栓を紹介し、安定したワインの貯蔵を可能にした。その事と北方人の性格が重なり、今まで外に逃げていた炭酸ガスが瓶内に残ったと言う訳だ。瓶の口を針金で縛ってあるのは、炭酸ガスの勢いでコルクが飛んでしまわないように、また銀紙でそれを覆ってあるのは、穴倉の湿気で針金がダメにならないようにという工夫である。

ドンペリニヨン

アンドレシモンはまた、ドンペリニヨンについても書いている。「彼はシャンパーニュの人々に彼らのワインをどうしたら一番良いものに出来るかということを最初に教えた人である。」

シャンパンの王「ドンペリニヨン」、冷やしておきます! 予約時に「ドンペリ頼む」と一言。