石川県 金沢市近郊、白山市のイタリア料理、フランス料理、ベルギー料理、西洋料理の専門店 ゲデレー GODOLLO ベルギービール、フランスワインも充実
西洋料理店ゲデレー フランス料理、イタリア料理、ベルギー料理、ベルギービール、ワイン

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2006年09月28日

017 赤鬼さんと赤猫さん

ゲデレーの守り神、京都の真如堂でいただいた赤鬼の護符西洋料理店に似つかわしくないもの、その壱。
昔話などで追い立てられることが多い鬼。もともと超自然的な大きな力を持った神的存在と考えられていた。朱色は魔を寄せつけない威力を持つとされ、朱の鬼は厄難が家に入り込むのを防ぐ守り神として人々に信じられている。写真にある舌を出してしゃがんでいる何とも愛きょうのある赤鬼。これは京都の真如堂でいただいた護符で、ゲデレーのかわいい守り神である。悪いものが店内に入り込まないよう眼を光らせている。

「厄病よけ」の赤い招き猫西洋料理店に似つかわしくないもの、その弐。

伊勢神宮へ参った際、その可愛らしさに魅せられた。ミステリアスな表情の赤い招き猫。その昔農村で養蚕が盛んだった頃、ネズミによるカイコ被害を防ぐために猫の置物を置いたり、猫絵を貼ったのが発祥だとか。現在は商売の縁起物として親しまれている招き猫、その形や色には意味がある。右手をあげているのは「お金」、左手をあげているのは「人」を招くと言われ、また、金色は「金招き」、白色は「福招き」、黒色は「除難免災」、赤色は「疫病よけ」とそれぞれ違う。ゲデレーの招き猫は左手をあげる赤猫なので・・・。おかげ様で病気ひとつせず頑張っております。

2006年09月15日

016 食事の合図

ベルギーのレストランのテーブルセッティング球審が右手をあげて宣言すると試合は始まる。
マナー上、お客様が席に座りナプキンをとる、その動作は料理のサービスを始めてくださいという合図なのだそうだ。私は毎日繰り返されるその儀式のような光景がとても好きで、何年経っても背中に変わらぬ緊張感がはしる。

さすがに日本人に比べ欧米人のナプキンの扱いは格好が良い。それは慣れからくるものなのか、さっと卓上のナプキンをとり、膝に置くその動作は我々にはとても自然に映る。

一方、わが国にも世界に誇る文化がある。「おしぼり」だ。もちろん当店でも使っている。欧米のレストランではまずお目にかかれないが、外国のお客様にも好評だと思う。寒い時期はあたためて、また暑い時期は冷たく冷やす、小さな心配りだがサービスの原点かもしれない。ゲデレーのおしぼり
(とりあえずビールという声が聞こえてきそうで)スマートさには欠けるが、おしぼりで手を拭く行為は、きれい好きとして通っている日本人の食事の合図であり、マナーといえばマナーだろう。「プレイボール」と「はっけよーい のこったぁ」の違いはあれ、準備はできているようだ。
さあ、おいしい料理を召し上がれ!

2006年09月05日

015 食器は料理のキモノ

出番を待つ色とりどりのお皿刺身なら刺身で、庖丁の冴えとか取りあわせのツマの色、あるいは形、そういうものを大切に注意するが、そうすることによって料理に美しい感じを与え、全体としてみれば、料理がそれによってうまくなるからに他ならない。こういうふうに、料理において尊ぶ美感というものは、絵とか、建築とか、天然の美というものと全く同じであり、美術の美というも、料理上の美というも、その元はひとつで同じ内容のものである。料理そのものを美化すると同時に、それらを盛る器も、あれこれといろいろに苦心が払われているのだ。料理を問題とする人は、勢い食器をも同等に問題とする。これが当然の成り行きである。北大路魯山人は著書のなかで「食器は料理のキモノ」と題し、このように書いている。

小規模な店では、クローゼットにも限りがあるので、コーディネートにはある程度のセンスが要求されるのが現実。合わせる皿の色や柄によっては、なんともアンバランスで食欲のそそらない料理になってしまうのだ。魯山人のように料理に合わせて食器をつくることは、オーダーメイドのキモノを仕立てると同じで最高の贅沢であろう。私の場合、よく使うお気に入りの器が何枚かあるが、すべて白を基本にした控えめな柄の丸皿である。真白い皿は味気なくて好きではないが、奇抜な色の皿に料理を盛る気もしない。食器を購入する際も、あれこれ悩んだあげく、最終的には飽きの来ない無難なものに落ち着くことが多いのだが、それはシンプルな和食と違い、ソースを多く使う洋食的コーディネートだと思ってほしい。

料理と食器のハーモニーをお楽しみくださいひとつ言える事は、服のオシャレは自分を売り込む一番の手段であり、単純に楽しいものだ。普段はシックなデザインの「ノリタケ」をよく使う一方、テーブルセッティングの飾り皿として映えるのは断然「アビランド」「レイノー」「ヘレンド」といったにぎやかな洋皿だという認識も持っている。料理を盛るための皿と必ずしもそうでない皿を使い分けるセンスも含め、今ある中で一番合うものを選択する感性は魯山人と私では違う。ただ、常にその意識を持って食器を選択していることにおいては同じであり、彼の考え方を尊敬し実践しているひとりだと自負している。
最先端のパリコレのステージでは、奇抜なデザインの服を着たモデルが闊歩しているが、それは飾り皿と同じで、日常の着こなしセンスとは別の世界。私の日々の仕事は、T.P.O.に合わせ、その食器にふさわしい料理をつくり、その料理にふさわしい食器をえらぶ事である。